赤文字系…池田晶子

池田晶子

元祖読モといっても過言ではないのかなと。この方の本は我が家にも一冊あるのですが「14歳からの哲学」。タイトル通り、中学生に向けて書かれた書で、哲学として、日々疑問に打ちのめされる世代に向けて、考えるチカラを失わせないよう、丁寧に且つシンプルに書き上げています。大人が読まれても感心とともに、現代社会に飲み込まれるばかりに自己主張とまでは云わないけど、自分らしさという名の忘れていた哲学的な部分やアイデンティティをもう一度、再確認することの出来る書だと思います。ぜひ読まれてみてください^^

プロフィール

池田 晶子(いけだ あきこ、1960年8月21日 - 2007年2月23日)は、日本の哲学者、文筆家。東京都出身。慶應義塾大学文学部哲学科倫理学専攻卒業。作家の佐藤哲也とは幼なじみで御田小学校、港中学校で同窓である。

港区立御田小学校、港区立港中学校(現:三田中学校)、慶應義塾女子高等学校を経て慶應義塾大学文学部哲学科卒業。高校時代は登山に熱中する。大学時代、哲学者木田元に師事する。容姿に優れアルバイトとして雑誌『JJ』の読者モデルを務める。これにより経済的にも自立し、進路を巡って両親との葛藤もあり、在学中に一人暮らしを始めるようになる。卒業後は就職はせず、モデル事務所に籍をおく。このとき『文藝』の校正の仕事をしたのがきっかけとなり文筆活動に専念するようになる。以後、朝日新聞記者(論説委員)であった父親の影響を受け文筆の才を示すことになる。その後埴谷雄高との交流をきっかけに『最後からひとりめの読者による埴谷雄高論』(1987年河出書房)を上梓するも、かつて全共闘闘士であった担当者と喧嘩をし、自ら同書を絶版にする。言葉と精神の仕事のはずの言論出版界の陰険さに失望するとともに、数年間文筆業界では「干された」状態にあった。

その後『事象そのものへ!』(法藏館、1991年)の連載で復帰し、専門知識や用語に頼ることなく、日常の言葉によって「哲学するとはどういうことか」を語ることで、多くの読者をめる。現代の思潮や流行している解釈に迎合せず、自分の考え、自分の言葉だけで存在と宇宙について思考をめぐらし、その執筆活動は哲学エッセイというジャンルの草分け的存在にもなっている。

哲学者

古代ギリシアの哲学者ソクラテスの対話篇を現代に復活させた『帰ってきたソクラテス』(新潮社)シリーズや、中学生・高校生向けに語りかけ的文体で書いた哲学の入門書『14歳からの哲学―考えるための教科書』(トランスビュー)などが話題を呼んだ。また文芸批評家の小林秀雄をこよなく尊敬し、2004年には、彼の著作タイトルを拝借して『新・考えるヒント』(講談社)を書き下ろしで発表した。

アカデミックな世界とは距離を置き、あまり同時代の哲学者との関連性を論じられることが少なかったが、亡くなる直前のガダマーとドイツで対談するなど、活動の幅は広かった。『朝まで生テレビ』にパネリストとして招かれたなどを除いて、映像メディアに出演する機会は少なかった。

美貌の独身の哲学者という触れ込みで文筆活動を行い、エッセイ等においても既婚である事実や配偶者に触れることは全くなかった。肉親(両親)に関する話題はあったが、むしろ愛犬を話題とすることのほうが多かった。夫とは、子供は絶対に産まないという条件で結婚したとされる。

晩年は『週刊新潮』の『人間自身』(以前は「死に方上手」というタイトルだった)、『サンデー毎日』で『暮らしの哲学』を連載するほか、『HANAKO』で人生相談の回答者としても登場していた。 アカデミズムとは一線を画したが、『14歳からの哲学―考えるための教科書』の出版を機に、中学校や高校に赴き「存在について」「考えるということについて」などの主題について講演を行った。

2007年2月23日、腎臓ガンのため46歳の若さで逝去。死の意味について語り続けた当人が、早すぎる死を受け入れざるを得なかったという劇的な運命と悲劇性に世間の同情と注目をめた[誰?]。 没後、夫の伊藤實を理事長としてNPO法人「わたくし、つまりnobody」が設立され、(池田晶子記念)わたくし、つまりnobody賞が創設された。 今日、彼女の著作のほとんどが、絶版されずにゆっくりと版を重ね続けている。